レトロ広告の魅力と当時の制作方法

コラム

時代を表す言葉に「明治レトロ」、「大正ロマン」、「昭和モダン」がありますが、それぞれの時代に作られた広告ポスターや看板などが、いい味を出していて、貴重な骨董品としても扱われています。ひと言でいうと「レトロ広告」となりますが、印刷会社の視点で、時代を遡って明治から昭和初期のレトロ広告の魅力と当時の制作方法などを探ってみました。

広告のルーツは引札

明治時代、当然ポスターという名称はなく、「ビラ」、「絵ビラ」、「広告ビラ」と呼ばれていたとされています。さらに遡ると江戸時代から「引札」というチラシのルーツが出まわっていました。呉服屋などで配布されていた「引札」ですが、明治時代になると、錦絵の技術を応用した多色石版が使われていました。引札のルーツをさらに遡ると、古くは織田信長の時代。安土城下の楽市で引札のようなものが撒かれていたといわれています。

引札は、明治初期に新聞が発行されると「折り込みチラシ」になり、一方で貼られることでビラになり、やがて明治後期になると平版のカラー印刷が根づき、ポスターになったという道筋が考えられます。

明治から大正、絵画から図案へ

明治時代のほとんどの広告は錦絵の技術を引き継いだ絵師や版画師によって作られていましたが、明治後期には杉浦非水をはじめとした図案家が登場します。東京美術学校(現東京芸術大学)の日本画科に通っていた杉浦非水が、在学途中の1896(明治29)年に図案科が新設されると、商業美術を志す図案家が続々と現れ広告の制作方法が変わる契機となりました。この時期、西洋では大判の印刷が可能となり、新しい広告媒体としてポスターが発達。日本でもアールヌーボーやアールデコといった西洋の様式の影響を受けたものが流行しました。
(アールヌーボーについてはコチラにまとめています)

昭和モダニズムが開花

大正から昭和にかけて広告の視覚表現は、それまでの絵画とは異なる新しい表現や手法が加わり、文字のデザインやタイポグラフィ的な要素も認識されるようになりました。

やがてアメリカ製のオフセット印刷機が導入されると、多色写真の製版法「HBプロセス」も取り入れられ「赤玉ポートワイン」のポスターに代表される写真を使ったポスターも登場しました。

昭和に入り、大量印刷が発達すると多種多様な広告合戦が繰り広げられるようになり、ポスター、新聞、雑誌、交通媒体、看板などさまざまな媒体において、工夫を凝らしたデザイン表現で広告効果を競うようになりました。絵柄だけではなく、専門職として当時は文案家と称されたコピーライターの機知に富んだ広告文も登場。

こうして時代を彩ったレトロな広告美術は懐かしさはもちろん新鮮ささえ感じます。色褪せた表情とともに人間臭さや愛着を感じて魅かれてしまうのは、私だけではないような気がします。

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