新年のお祝いメッセージをメールやLINEで送る人が増えたこともあって、年賀ハガキの発行枚数は2003(平成15)年の44.6億枚をピークに下がり続け、昨年2018(平成30)年には24億枚まで減少しました。一昨年末には郵便ハガキの印刷工場として指定を受けていた老舗の印刷会社が倒産するという寂しいニュースも。
若い世代を中心に忘れられがちですが、長い伝統を背景に日本の文化として育んできた年賀状について、ざっくりとおさらいをしておきたいと思います。
年賀状のはじまり
年賀状の起源については定かではありませんが、奈良時代には新年の年始回りをする行事があり、平安時代にその風習が広まって、遠方などの人に対して文書で挨拶を行うようになったといわれています。また、平安時代後期に貴族で儒学者の藤原明衝が「明衝往来(雲州消息)」という書簡(手紙)文例集に、年始の挨拶を含む文例を掲載しており、年賀状の歴史を伝えるものとして知られています。当時はすでに駅制が設けられ、鎌倉時代には騎馬飛脚が整備されました。
戦国時代を経て江戸時代には、飛脚制度が充実し、新年を祝う書状を飛脚に届けてもらい挨拶を簡略するという、現在の年賀状のルーツともいえるスタイルになっていきました。当初は貴族や武士階級などの一部に限られていましたが、江戸時代には寺子屋などで庶民が読み書きを習い、手紙のやりとりが普通になったことで、年賀の書状が庶民にも身近な存在になりました。
年賀郵便のはじまり
明治維新後、1871(明治4)年に全国一律料金の郵便制度が確立。
1873(明治6)年には郵便ハガキが発行されると、徐々にハガキの使用が定着。明治時代中期には年始の挨拶をハガキで出す習慣が年中行事の一つとして日本国民に広まっていきました。もともと年が明けてから投函されていた年賀ハガキですが、元旦の消印を狙って年末ギリギリに投函する人が増えたことにより、処理が不可能に。そこで、現在のように年末のうちに受け付けて元日に配達する年賀郵便の特別取扱いが開始されました。
太平洋戦争が勃発すると年賀郵便特別取り扱いが廃止。終戦を迎えた4年後1949(昭和24)年に、戦後の復興を願う国民の思いを反映する形でお年玉つき年賀ハガキが発売され、年賀状が復活しました。以後急激に取扱量を増やしていくこととなり、1968(昭和43)年に郵便番号制度が導入されると、配達のスピードアップが実現します。印刷会社で年賀状印刷が盛んになったのは1970年代頃。同時期の1977(昭和52)年に発売された「プリントゴッコ」は、家庭で年賀ハガキが印刷できる簡易印刷機として、一時期日本の年賀状文化を支える役目を果たしました。
そんな年賀状ですが、年々進化を遂げており、当社でもポップアップの「飛び出す年賀状」を作ったりしています。
これらの「飛び出す年賀状」は、毎年おもしろい、とお客様からも好評だったりします。
年賀状の文化を大切にしつつ、新しい仕掛けで人を喜ばすのもいいかもしれません。
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