今回は、終戦直後にヒットした大ベストセラー本の話をしようと思います。
古代ギリシャ語で「目に見える姿や形」を意味する「イデア(ἰδέα)」は、プラトンの哲学思想により、「考え」や「着想」、「観念」といったことを意味する言葉に変わっていきました。
それが英語における「アイデア(idea)」です。
日本で使われ始めた時期は定かではありませんが、「アイデア」という言葉は外来語・借用語として広く定着しています。
広告やデザインに興味がある方ならご存じかと思いますが『アイデア』という雑誌があります。
出版社は「誠文堂新光社」。
1926(大正15)年に同社(当時は誠文堂)から創刊された『廣告界』が戦時下の統制よって休刊。
その後、読者層をデザイン関係者に絞り、国際的なグラフィックデザイン誌として1953(昭和28)年に創刊されたのが『アイデア』です。
以来、クリエイターのバイブルとして70年もの間愛読されています。
戦後初の大ベストセラー『日米會話手帳』
その誠文堂新光社は、創業110年の歴史を誇り、生活・文化、科学・技術などさまざまな分野の雑誌や書籍を展開している出版社です。
創業者の小川菊松氏のアイデアマンぶりについては、1945(昭和20)年10月3日、終戦からわずか1か月半後に発行された出版物『日米會話手帳』に示されています。
書籍サイズの四六判の半分(ほぼB7判)、活版印刷、本文32ページの小冊子は、わずか4か月で360万部以上売れ、戦後初の大ベストセラー出版物になりました。
1981(昭和56)年、500万部を達成した黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』が出現するまで、36年間この記録は破られませんでした。
小川菊松氏自らが著した『出版興亡五十年』には、『日米會話手帳』出版の経緯が綴られています。
和文の原稿は一夜で作った。
いざ印刷となったが、焼け野原の東京に印刷所がなく、幸い焼け残った大日本印刷で行われた。
当初定価50銭で売る予定だったが、出版取次の日配(日本出版配給)から1円にしてほしいと要求され、結局80銭(現代の160円程度)になった、と回顧。
また、この出版には、1923(大正12)年に起こった関東大震災直後に発行し、大ヒットした『大震大火の東京』の成功体験が企画の背景にあったことを示唆する記述もありました。
筆者の手元には『日米會話手帳』の復刻版があります。
表紙は紺1色刷りのシンプルなデザイン。
発行者名として誠文堂新光社ではなく、系列会社の科学教材社の名が。
本文は墨1色刷り、「日常会話」と「買物」、「道を訊ねる」の3部構成。
各ページ左側に日本語の例文とローマ字表記、右側にはそれに対応した英語とカタカナの発音が表記されています。
例えば「さよなら」は「Good-bye! So-long!」に対訳され「グッバーイ スロン(グ)」の発音。
( )の中はほとんど発音されないことを示しており、発音へのこだわりが窺えます。
余白にメモ欄が設けられていることも意外でした。
当時、終戦の混乱期にこの冊子をどんな人たちがどんな理由で購入し、実際役に立ったのか気になるところです。
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