「昭和の日」にちなんで、昭和時代の印刷の話

コラム

「昭和の日」にちなんで昭和時代の印刷についての記事を書いてほしいという依頼がありました。平成も30年経ったいま、改めて「昭和の印刷」について書き綴るとなるとかなりの長編になりそうなので、今回は超スピードで昭和を駆け抜けようと思います。

日本の印刷の歴史をたどると幕末まで遡り、印刷業のトップランナーは「活版印刷」ですが、今回は当社の成り立ちであり、活版印刷を追う立場だった「謄写印刷」にこだわってみます。

謄写印刷とは?

謄写印刷は謄写版原紙で作った版を用いる孔版印刷で、俗に「ガリ版」とも呼ばれています。原型はトーマス・エジソンが開発した「ミメオグラフ」を日本に合うように改良し、1894(明治27)年に堀井新治郎父子によって謄写版が発明されました。

謄写印刷は明治末期に筆耕派遣業として始まったといわれています。大正時代から昭和にかけて文学青年や画家志望者が業界に大勢参入し活況を呈しました。詩人で童話作家の宮澤賢治もこの仕事に携わっていたことで知られています。

昭和の謄写印刷

昭和に入ると、大都市を中心とした官庁や学校などの近くに謄写印刷の店舗を構える店が増えていきました。店は接客カウンターを設けた現在のコピー屋さん的な雰囲気だったと想像できます。

謄写印刷の業界が大きく動き始めたのは戦後。1950年前後には謄写印刷業が全国に行き渡り、全国的な組織が結成されていきました。和文タイプライターが導入されたのもこの頃。機械化ともに謄写印刷はタイプ印刷、軽印刷へと大きな変革を遂げ、印刷会社は並行してオフセット印刷技術の習得に取り組みました。

謄写印刷からオフセット印刷へ

1948(昭和23)年に当時闇市で賑わっていた野毛町で創業した当社も、間口一間の店舗でスタート。他の謄写印刷の会社とほとんど同じ道をたどり、家内的手工業生産から機械による近代的生産へと脱却。ガリ版から和文タイプへ、さらにはタイプと併用して写真植字機も導入するとともに、オフセット印刷機械の多様化、高速化、大型化へと向かいました。さらに印刷は電子製版機の実用化などを経て、高品質を求める時代へと向かい、製造業から情報産業へと歩みを進めていきました。

昭和後期の大きな変革はOA化の進展や機械のデジタル化によって進み、1980年代半ばにはワープロ、電子写植、電子組版機へと移行。デジタル技術の進歩とともに印刷は大きく変化しつつ、平成を迎えました。

振り返ってみると「昭和の印刷」がいかに変わっていったかがよくわかります。今回あまりにもはしょりすぎて、歴史の上っ面のみの記事でしたが、もっと詳しい歴史もどこかでお伝えしたいと考えています。

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