日本のポップカルチャーとして海外に輸出された「漫画」は、今や「Manga」 で通じる世界語になりました。
当社が拠点を構える横浜の事始めのひとつに、漫画雑誌があります。
それが、1862(文久2)年春に創刊された「ジャパン・パンチ」です。
幕末期に記者として来日した英国人の画家・漫画家のチャールズ・ワーグマンによって、この雑誌が作られました。
日本の漫画の歴史となると、平安時代の絵巻物の「鳥獣人物戯画」に遡ります。
今回は、そんな「漫画の歴史」について解説します。
「漫画」の語源
「漫画」という言葉の語源は、1798(寛政10)年に発行された山東京伝の絵本「四時交加」。
この本の序文で「気の向くままに描く」という言葉として「漫画」が使用されました。
その後、葛飾北斎が発行した「北斎漫画」を機に、漫画は戯画風のスケッチを指す言葉として広まります。
1895(明治28)年、福沢諭吉の義理の甥にあたる今泉一瓢が、新聞「時事新報」で漫画を「caricature」「cartoon」の訳語として使用。
北澤楽天も「comic」の訳語として漫画を使いはじめました。
現代の「漫画」スタイルができるまで
大正期に入って漫画史に登場するのが岡本太郎の父、岡本一平。
独自のスタイルを確立し、後のストーリー漫画の原型を作りました。
現代の漫画に通じるコマ割りやフキダシといった表現手法が定着し始めたのは、1923(大正12)年に新聞に掲載された「ノンキナトウサン」や「正チャンの冒険」から。
さらに昭和に入ると、毛筆からペンへと大きな変化がありました。
1930年代には、「のらくろ」「冒険ダン吉」などの子ども向け人気漫画が単行本化されベストセラーに。
その後、手塚治虫をはじめとするカリスマ的漫画家の登場もあり、高度経済成長期へ向かい漫画が果たした役割は大きく、子どもの文化の中心に漫画があったことは皆さんご存じの通りです。
世界で通用する「Manga」へ
その後漫画は、子どもだけでなく大人からも人気を集め、日本を代表するポップカルチャーとなりました。
ちなみに、漫画がまだ「Manga」では通じなかった時代の1980年代に、英文翻訳して海外用につくり直す、という仕事の依頼が当社に来ました。
日本の漫画は右綴じで、文字は縦書き。
コマも右から左へ流れて行くため、当時は「絵柄をすべて反転し、フキダシの中を英文写植文字に貼り変える」という作業をやっていました。
しかし、この方法だと人物の利き手が逆になり、登場人物はみな左利きという問題が生じたため、ページのコマ割りを作り変えるなどの方法を取るようになりました。
現在ではコスト面を考え、右綴じのままの日本仕様で、フキダシの中だけ変えるという方法が取られています。
日本が誇る「Manga」という文化、今後も海外でさらに注目が集まりそうです。
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