9月は「印刷の月」なので、印刷産業の歴史を振り返ってみた

9月は「印刷の月」
9月は、一般社団法人日本印刷産業連合会が定める「印刷の月」です。
会員団体や企業とともに協力し、印刷産業への認識を深め理解の促進を図ることを目的に、毎年さまざまな周知・PRが行われています。
なぜ9月が「印刷の月」なのかというと、日本で最初に活版事業を行い「印刷の父」と称された本木昌造の命日が、9月3日(1875年没)であったからとのこと。
今回は、「印刷の月」らしく、日本の印刷業について考察してみます。
日本における印刷物の歴史
日本最古の印刷物であり、印刷物として残された世界最古の「百万塔陀羅尼」は、奈良時代の770年に、法隆寺を始めとする10の国分寺に10万基ずつ小塔の中に納められ奉納されたものです。
版が木製あるいは金属製なのかも含めて印刷形式は不明ですが、印刷に関わった業者が存在したはず。
その後約300年の間には「源氏物語」を始め数多くの書物がつくられていますが、どれも印刷を必要としない手書きのものばかり。
木版印刷されたものとして登場するのは、平安末期の「成唯識論」だといわれています。
それ以後、鎌倉・室町時代には、寺院によりさまざまな経典が印刷・出版されました。
この頃までは読み書きのできる一部の武士や僧侶のための印刷でしたが、江戸時代に入ると読み書きのできる町民が増え、3代目将軍の家光の時代には木版印刷による書物の出版が盛んになり、浮世絵などが普及し広く庶民に浸透していきました。
ヨーロッパの印刷発展の歴史
この間にヨーロッパでは、1450年にグーテンベルグが活版印刷術を発明。
活版印刷機やプレス印刷機を使った印刷が盛んになり、世界中に広まっていきました。
日本では江戸末期、オランダ語の翻訳を業としていた本木昌造が、1848(嘉永元)年にオランダの貿易商から活字と印刷機を購入。
カタカナ文字の鉛活字をつくり、自著の「蘭和通弁」を印刷。
1870(明治3)年には「新町活版所」を創業し、日本初の民間活版事業を開始。
その後活版印刷は、新聞や雑誌、書籍の分野で急激に浸透していきました。
1876(明治9)年には今日の大日本印刷の前身で、勝海舟が命名したとされる「秀英舎」が創業。
日本で最初の本格的印刷企業が誕生しました。
その後は1914(大正3)年にオフセット印刷が日本に伝わり、その後もグラビア印刷、フレキソ印刷、スクリーン印刷などの他、謄写版の発明と筆耕派遣業から生まれた謄写印刷など、さまざまな印刷業が印刷産業を支えていきました。
印刷産業の変化と今
その後印刷産業はオフセット印刷を中心に成長し続けましたが、1991(平成3)年以降は縮小に向かいます。
その大きな要因が、デジタル化による印刷の製造革新。
それまで手作業で行われていたプロセスが、DTPによって1台のPC上でできるようになりました。
このとき積極的にデジタル化を進めた印刷会社が生き残り、立ち後れた会社との運命を分けたといいます。
この頃から印刷業は徐々に、印刷物を製造する仕事から、情報を加工して発信する仕事へと移行していきました。
時代の移り変わりとともに、大きく変化を遂げてきた印刷産業。
印刷会社である当社も、時代の変化にあわせて、また、この先を見据えて、今までの印刷技術を大切にしながらもさまざまな新しい取り組みを行っています。
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