印刷業界で昔も今も変わらないのが、人物写真における肌色の再現性の難しさです。色校正に赤字で書かれた「肌色をきれいに!」という修正指示はよく見かけます。
ここでの「肌色」は、あくまでも画像再現における「肌の色」といった意味合いですが、近年色彩を表す「はだ色」が画材などから消えているのをご存じでしょうか。
「はだ色」はいつから言い換えられるようになった?
そもそも「はだ色」は、日本人の平均的な皮膚の色をイメージした薄いオレンジ色の色名。
日本では、仏教が一般に広まる江戸時代以前、「宍(しし)色」と呼ばれていました。
「宍」は「肉」の古語で、主として食用の獣の肉を指して使う語。おそらく江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の肉食を禁止する「生類憐みの令」制定後に、「宍」に代わる呼び名を一考したことで「はだ色」という呼び名が広がったと考えられています。
大正時代に日本で自由画教育が始まると、クレヨンやクレパスなどの画材が普及。昭和初期には、子どもたちが顔を描くために必要な「はだ色」が加わったと言われています。
そして現在、その「はだ色」の呼称がいつのまにか姿を消しているのです。
事の発端は、1950年代から60年代にかけて起こった「アフリカ系アメリカ人公民権運動」。日本の「はだ色」よりも白色人種の肌の色に近い、英語で「フレッシュ(flesh:人肉)」と呼ばれていた色が、1962(昭和37)年に「ピーチ(peach)」に変更されました。
「はだ色」から「ペールオレンジ」「うすだいだい」に
一方で、日本では残念なことに人種差別に対する意識が非常に低いと言われ続けてきました。
そんな中、消費者から多様な国籍の人が暮らす社会で一つの色を「はだ色」と決めつけるのは差別的だ、という批判が寄せられるようになります。
学校の先生からも「はだ色」を使っての教育がしづらい、との声が高まったのをきっかけに、2000(平成12)年前後に大手クレヨンメーカー側が呼称の変更に踏み切りました。
ぺんてるは薄いオレンジを意味する「ペールオレンジ」に、サクラは「うすだいだい」に呼称変更。色鉛筆や絵の具なども含めて、画材から「はだ色」の呼称が消えていきました。
ちなみに、JIS(日本工業規格)が定めた慣用色の「肌色」や、DICの色見本帳「日本の伝統色」の「膚(はだ)色」は存在しており、伝統的な文化としての色名は今後もずっと残っていくものと考えられます。当然ですが、印刷の現場での肌色は、差別的な意味はなく常に研究の対象です。
価値観や言葉の使い方を考え直した結果、呼称が変化した「はだ色」のお話でした。
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