広重の『名所江戸百景』は震災復興のシンボルとして描かれた?!

コラム

以前、「安政の大地震」後に起こった「鯰絵」ブームについて掲載しましたが、今回も幕末、「安政の大地震」に関連した話です。「安政の大地震」は安政年間に起きた地震の総称ですが、NHK大河ドラマの「西郷どん」でも登場した「安政江戸地震」は1855(安政2)年10月に起きた内陸の直下型地震。マグニチュード7と推定され、江戸の町に壊滅的な被害を与えました。

名所江戸百景の逸話

その地震から約4か月後の1856(安政3)年2月から1858(安政5)年10月にかけて刊行された歌川広重の晩年の浮世絵連作シリーズ『名所江戸百景』は、ゴッホを始め19世紀ヨーロッパ絵画に大きな影響を与えた傑作であり、縦長の画面に風景を切り取り、手前にあるものをクローズアップさせた大胆奇抜な構図も秀逸です。
その『名所江戸百景』は、江戸観光のお土産用の名所絵として制作されたのではなく、地震による災害から1日も早い復興を願って作られたといわれています。つまり、江戸を襲った大きな地震を体験した人たちに向けて、「江戸の名所は残っている」「壊れた箇所も修復できた」という思いで描かれたという説があるようです。

描かれた順番にも意味があった?

安政3年2月、最初に刊行されたのは5作品のうち、「芝うらの風景」は、地震で壊れた将軍様の別荘「浜御殿(現浜離宮)」の石垣の修復を祝したもの。他には地震の影響が少なかったと想定される場所が舞台の「千住の大はし」(現足立区千住大橋)、「千束の池袈裟掛松」(現目黒区洗足池)、「玉川堤の花」(現新宿御苑前)、「堀江ねこざね」(現浦安市猫実)が刊行されました。その後も中心地と周辺地域とのバランスを保ちながら、復興した場所から順に描いていったと考えられます。
例えば安政3年7月に刊行された「糀町一丁目山王祭ねり込」(現千代田区隼町)は地震から9か月後に祭りが挙行されたことを伝えています。同じく7月に刊行された「浅草金龍山」(現浅草寺)は、五重塔を始め建物のすべてが再建された様子が、江戸庶民の希望のシンボルのように描かれています。その年の9月に刊行された「下谷広小路」(現台東区上野)は、火災によって焼失した呉服店「松坂屋」(現松坂屋上野店)の再建に合わせて作られています。

私たちは東日本大震災の後、メディアを通してさまざまな角度からの報道を目にしましたが、この方法しか伝える術がなかった江戸時代の大作は160余年を隔ててもなお新鮮。広重のジャーナリストとして、プロデューサーとして、アートディレクターとしての圧倒的な才能を感じずにはいられません。

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