昨年秋に開催された第32回東京国際映画祭の特別上映作品として、55年前に上映された作品のデジタル修復版が再上映されました。タイトルは『東京パラリンピック 愛と栄光の祭典』。この映画を紹介するコメントには、「『パラリンピック』の名付け親となった1964年東京パラリンピック、世紀の大会を記録した幻のドキュメンタリーを発掘!!」とあります。
パラリンピックの名付け親は、東京オリンピックだった?!
この映画の存在を知っている人は少ないと思いますが、前回の東京オリンピックの際に「パラリンピック」の名称が初めて使用されたことも意外と知られていません。
パラリンピックのルーツは、1948(昭和23)年のイギリス、ロンドンオリンピックに合わせて、脊髄損傷の傷痍軍人専門のストーク・マンデビル病院で開かれた弓術大会「ストーク・マンデビル競技大会」とされています。この大会が国際化し、1960(昭和35)年のイタリア、ローマで開催された第9回国際ストーク・マンデビル競技大会は、後に第1回パラリンピックと呼ばれるようになりますが、この時点ではまだその名称が存在していませんでした。
4年後、1964(昭和39)年の東京オリンピックで初めて「パラリンピック」という名称が公式資料の中で使われました。下半身麻痺者を意味する「パラプレジア(Paraplegia)」と「オリンピックOlympic)」の造語「パラリンピック(Paralympic)」は資金集めのための愛称として、日本人によって命名されたといわれています。
しかし、この時はまだ正式な大会名として採用されず、正式な大会名になったのは、1985(昭和60)年のソウル大会。パラプレジア以外の障害者の参加も多かったことから、IOCは英語の平行・並列を意味する「パラレル(Parallel)」の語源で、ギリシャ語の「~のそばに」、「~と並んで」を意味する「パラ(Para~)」との造語として、オリンピックと並行して開催される競技大会であることの意味を強めて、「パラリンピック」を採用しました。
1964年当時の日本は障害者スポーツへの関心はかなり低く運営もままならない状態でした。そんな状況を救ったのは、「上を向いて歩こう」をリリースし人気絶頂だった歌手の坂本九さん。障害者福祉に力を入れていた彼は、パラリンピックを成功させることで、社会に障害者についての理解を深めてもらうきっかけにしようと考えます。
そして、募金活動中にリリースしたのが、「幸せなら手をたたこう」。歌の盛り上がりとともに当時としてはかなり高額の寄付金が集まり、後にこの大会が日本の障害者福祉の始まりといわれるようになりました。
福祉的な側面から捉えられていたパラリンピックもその後、競技性が高まり、パラアスリートのプレーは急速に進化を遂げています。第16回となる東京2020パラリンピックは56年前とは違って大いに注目を集めると予想され、障害者スポーツはもちろん、スポーツ全般を変える大きな契機になると考えられます。
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