野毛のランドマーク「都橋商店街」の歴史を調べてみた

コラム

都橋商店街

「株式会社野毛印刷社」という名前の通り、当社の創業地は横浜の「野毛」です。
野毛といえばハシゴ酒。ハシゴ酒といえば「都橋商店街」(みやこばししょうてんがい)、というのが野毛の呑兵衛を自称する知人の口ぐせ。

吉田町から野毛本通りに向かって、大岡川に架かった都橋の袂から川沿いに建つ曲面ファザードが特徴の建物が「都橋商店街」です。
野毛のランドマークとして数多の映画やドラマに登場する独特の景観をご存じの方も多いと思います。
2012(平成24)年に放送されたテレビ番組「アド街ック天国 横浜野毛」のランキングで「都橋商店街」は第1位に輝きました。

都橋商店街の歴史

終戦後、闇市の街だった野毛は、昭和30年代に入っても靴や衣料、食料などを売る露店がひしめき合っていました。
地元の商店街組合は道路の不法占拠をする露店の撤去を求め、横浜市に対して行政訴訟を準備。
市はその動きもふまえ、1964(昭和39)年の東京オリンピックに横浜文化体育館がバレーボールの会場に決まると、露店の一掃に踏み切ります。
当時大岡川沿いの都橋から宮川橋にかけてあった水運の旧荷揚場に共同店舗の建設を計画。
そして、完成したのが「都橋商店街ビル」です。

ビルは横浜市と財団法人横浜市建築助成公社、露天商との間で商業ビルとしての構造や美観などについて協議。
1階店舗は正面を入口、2階店舗は河川側を入口とする両面に表情を持つ鉄筋2階建ての長屋風の建物が誕生しました。
全長約90メートル、約3坪の小さな店を60
ほど収容した建物は、ハーモニカの吹き口に例えて通称「ハーモニカ横丁」。

当初は1階部分には靴やカバン、時計、電気、衣料品などの店舗、2階は飲食店という構成でしたが、時の流れとともに1階から物販店舗が去り、1・2階とも飲食店舗になりました。
建物の設計者である吉原慎一郎は、1978(
昭和53)年に竣工した横浜スタジアムをはじめ、横浜市内の建築物を数多く手がけた建築家です。

都橋商店街

この「都橋商店街ビル」が2016(平成28)年、横浜市の歴史的建造物に認定されました。
認定されている建物は、赤レンガ倉庫や、横浜税関(クイーンの塔)、ホテルニューグランド本館など明治時代から昭和初期に造られた建物が多いなか、戦後建築としては初めての登録ということになります。

これを受けて、歴史的建造物の保存活用を目指す「公益財団法人横浜歴史資産調査会(通称ヨコハマヘリテイジ)」に所有が移管。
煌びやかな輝きを放つみなとみらいとは対照的に、レトロでディープな昭和の雰囲気を漂わせる野毛のアイキャッチャーとして、今後も保存活用されていくようです。

夕暮れ時の川面に映える灯りを求めて、小さな酒場のぬくもりを求めて、ぜひ都橋商店街を探訪してみてはいかがでしょうか。


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