ご存じのように11月23日にパリで行われた「BIE:博覧会国際事務局(Bureau International des Expositions)」の総会において、加盟国(170か国)の代表による投票で、2025年国際博覧会(万博)の大阪市開催が決定しました。
国内での大規模万博の開催は2015年愛知県の「愛・地球博」以来、大阪では1970年の「日本万国博覧会(EXPO’70)」以来55年ぶり。予定としては、2025年5月3日~11月3日、大阪市湾岸部の人工島「夢洲(ゆめしま)」を会場として開催されるようです。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。2,800万人の来場を見込んでいます。久々の万博開催のニュースに、「万博ってなんだっけ?」と思われている人も多いと思いますので、かいつまんで説明します。
国際博覧会の歴史
もともと、さまざまな物品を集めて展示する国内向けの博覧会がフランス革命の時期のパリで初めて開催され、徐々に規模が大きくなると、ヨーロッパ各国でも開催されるようになりました。1849(嘉永2)年、当時のフランス首相の提唱によって、1851(嘉永4)年に第1回国際博覧会がロンドンで開催されました。 日本が初めて参加したのは1867(慶応3)年、幕府と薩摩藩、佐賀藩がパリで2回目の国際博覧会の際。明治維新後の1873(明治6)年のウィーン万国博覧会には公式参加しました。その後2度ほど日本での開催計画がありましたが、時期尚早、戦時体制などの理由で頓挫し、1970(昭和45)年に日本およびアジア初の日本万国博覧会が大阪で開催されました。
博覧会の区分について
大阪万博は「一般博」という区分でしたが、この頃は規模の大小などにより「一般博(現・登録博)」と「特別博(現・認定博)」に分かれていました。その後、「特別博」として、1975(昭和50)年に「沖縄国際海洋博覧会」、1985(昭和60)年に「国際科学技術博覧会」(筑波研究学園都市)、1990(平成2)年に「国際花と緑の博覧会」(大阪鶴見緑地)が開催されています。そして、1995年より最大規模で5年に1回、最大6か月間開催の博覧会を「登録博」に。中間期間に開催される最大3か月までの博覧会を「認定博」と定め、2005(平成17)年に「登録博」として愛知県瀬戸市などで「愛・地球博」が開催されました。
最近の「登録博」は、2010(平成22)年の「上海国際博覧会」、2015(平成27)年の「ミラノ国際博覧会」が開催され、2020年の「ドバイ国際博覧会」、2025年の「大阪国際博覧会」が予定されています。
横浜と博覧会
当社の本拠地である横浜市は、大掛かりな国際博覧会はこれまで開催されていませんが、博覧会には上記の区分とは別に「地方博」という博覧会が、随時開催されています。古くは1935(昭和10)年に、関東大震災から立ち直った横浜市が復興を記念して、産業貿易の全貌を紹介する「復興記念横浜大博覧会」を開催。会場は山下公園とその周辺でした。また、戦後初の博覧会として1949(昭和24)年には、野毛山公園一帯と現在の反町公園一帯の2つを会場として「日本貿易博覧会」を開催しています。さらに1989(平成元)年には、横浜市制100周年と横浜開港130周年を記念して「横浜博覧会(YES’89)」を横浜みなとみらい21地区で開催。1,400万人近くの動員実績からバブル時期にブームとなった都市博の代表例と呼ばれました。
横浜にも博覧会構想?! 「国際園芸博覧会(花博)」はどうなる?!
BIE主体の国際博覧会とは別に国際園芸家協会(AIPH)という組織があり、園芸や造園産業の振興を目的にした国際博覧会があります。横浜市が2026年にこの「国際園芸博覧会」、通称「花博」への開催招致を狙っていると伝えられています。会場は2015年に米軍から変換された、旭区と瀬谷区にまたがる旧上瀬谷通信施設跡。面積約242ヘクタールの広大な土地のうち、約110ヘクタールの国有地部分の活用を中心に構想をまとめています。構想では1,500万人以上の入場者を想定。「幸せを創る明日の風景」をテーマに掲げ、「会場の高台から望める富士山をシンボルとし、日本らしい伝統文化を踏まえた会場構成とするイメージ」などの計画案も伝わってきますが、大阪万博の開催決定で、この横浜の構想がどうなるのか予想もつきません。承認には国際園芸家協会(AIPH)のほかに博覧会国際事務局(BIE)も関わるそうなので見送られたりするんでしょうか。横浜市を拠点とする企業としては、気になるところです。