印刷の歴史と技術の挑戦につながる豆本の豆知識

コラム

日本人の長寿の秘密のひとつは大豆加工品にあるのではないかと言われるほど、豆は日本人の食生活に欠かせないものですが、小欄では食品としての「豆」ではなく、「小さい」「ちょっとした」といった意味の「豆」から本題につなげていこうと思います。

豆本の歴史とは

今回「豆知識」として取り上げたのは、日本の印刷の歴史と関わりがある「豆本」です。そもそも「豆本(Miniature Books) 」は掌に収まる程度の小型本の総称ですが、西洋では16世紀頃に聖書などを中心に流行し、盛んに作られていました。日本では江戸時代の後期頃、美濃半紙を8つ切りにした約140×100mm以下の本を「豆本」といったようです。特にひときわ小さな、雛道具に収まる程のものを「雛本」と称していました。 「豆本」といえるかどうかわかりませんが、それよりはるか昔の奈良時代、西暦770年に、仏教によって国家の安泰を祈願するために作られた「百万塔」という小さな塔に納められた高さ約55mmの巻物「百万塔陀羅尼ひゃくまんとうだらに」があります。巻物は印刷されており、その方法については版木に文字を彫って印刷した木版説、銅板に文字を鋳造した銅凸版説の2説があり明らかになっていませんが、制作年がはっきりわかる世界最古の印刷物といわれています。

豆本ブームの到来

「豆本」は、明治時代以降はあまり注目されず、道楽の域を超えられませんでしたが、戦後、1953(昭和28)年に札幌で発刊された「ゑぞまめほん」が火付け役となり、全国的に「豆本」のブームが起きました。それ以後はより小さな「豆本」を追求する製紙技術、印刷技術の競争が始まります。1958( 昭和33)年には、ドイツのグーテンベルグ博物館 が5.5× 5.5mmの当時世界で最も小さい「豆本」を作ります。聖書を抜粋したもので文字の大きさは0.17mm。
その6年後の1964(昭和39)年には凸版印刷 が4.5×3.5mmの「小倉百人一首」を製作。小さくても可読性が高いアルファベットと比較すると画数の多い漢字が必要な日本語は不利でしたが、その後もギネスブックの「世界最小の本」を狙って極限への挑戦は続き、記録を更新し続け、2013(平成25)年には0.75mm角のマイクロブッ ク「四季の草花」の製作に成功しました。
もちろんこの製作には超微細印刷の技術が応用されており、残念ながら当社でお受けできるものではありません。

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