世界に存在する文書は、大きく分けて、横に進む「横書き」と縦に進む「縦書き」に分かれています。
その中でも日本は、「横書き」と「縦書き」を使い分ける、珍しい国であると言えると思います。
当社は印刷会社なので、「書く」よりも「組む」という言い方をします。
そのため、通常は「横組み」「縦組み」という言葉を使いますが、今回は「横書き」「縦書き」 で話を進めていこうと思います。
日本の横書き文化のはじまり
皆さんご存じのように、「縦書き」は漢字の国の中国が元祖。
その中国の影響を受けた日本語は「縦書き」が基本でしたが、 近代以降は「横書き」との併用が行われるようになりました。
では最初に「横書き」が使われたのはいつ頃なのか。
歴史を探ると、 もともと横に長い看板や額、 暖簾などに1行で文字を入れる場合は、右から読ませる「横書き」が使われていましたが、出版物としての「横書き」が使われるようになったのは、18世紀後半の蘭学が紹介された頃、といわれています。
1788年(天明8)年、蘭学者大槻玄沢が刊行した蘭学の入門書「蘭学階梯」でオランダ語の文字が紹介されたのをきっかけに、「横書き」文書の存在が広く知られるようになり、これを模倣して日本語を横に組む出版物が現れました。
代表的なものが1806年(文化3)年に刊行された、戯作者の式亭三馬による「小野ばかむら嘘字尽」。パロディ満載の書物には、ひらがなをくずして90度回転させて「横書き」とした、「おいらんだ文字」が掲載されています。
右横書き
本格的な「横書き」文書が現れるのは明治になってから。
英語や独語などの辞書類は、欧文に合わせて日本語を横に組む必要がありました。
しかし、この頃から昭和にかけて「横書き」は、右から左へ、あるいは左から右へ読ませる「横書き」が入り乱れることになります。
ずっとこの状態が続いた昭和初期、当時は国粋主義的な論調が高まる中、欧米崇拝を嫌ってすべての「横書き」を「縦書き」同様に右から読ませる「右横書き」が推奨されるようになったのです。
左横書き
現在のように「左横書き」になったのは戦後。
欧米の翻訳文書が大量に出回るのをきっかけに広がり、1949(昭和24)年に猶予期間を設けながら「左横書き」化がはじまり、1952(昭和27)年に「公用文の作成要領」が通達されたことで「右横書き」は姿を消すことになります。
現在、「縦書き」は新聞、文芸書籍、雑誌、国語系の教科書などで使われ、他はほとんど「横書き」になりましたが、それでも中国や韓国に比べて「縦書き」文化がきちんと残っているのは、何でも取り入れる日本らしいところ。
ポスターやチラシ、パンフレットなどの印刷物は内容に合わせて「縦組み」「横組み」の混在も自由ですし、組み方の工夫でデザインの幅が広がることにもなりました。
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