横浜発、幕末の流行り歌「野毛山節」。流行歌のルーツを探る

コラム

流行歌

音程の高低差やリズムが激しく、息継ぎもできないくらい詰めこまれた歌詞。

そんな難易度の高い曲を簡単に歌いこなす若年層を見るたび、世代間ギャップを感じてしまうのは筆者だけではないはず…。

大人になってからの音楽の好みは、中学生の頃に聴いた音楽によって形成されるという研究結果があるそうですが、確かにそんな気もします。

流行歌の歴史

現在はJ-POPという括りでカテゴライズされている楽曲も含めて、多くの人々に愛唱される日本のポピュラーソングの総称が「流行歌」

その流行歌の歴史を紐解くと、2度の黒船の到来が大きな変化につながったといわれています。

1度目の黒船が昭和初期。
電気吹込みという新しい録音システムを完備した米国のレコード会社が、横浜に日本法人を創立。
すでにレコードは明治時代に伝わっていましたが、この頃の代表作「波浮の港」をはじめ、新録音によるポピュラー音楽の革命がありました。

ちなみに2度目の黒船は、1966(昭和41)年のザ・ビートルズの来日だそうです。

日本の流行歌のルーツ「野毛山節」

いつの時代も流行はやりの歌が人々の生活の身近にあったと考えられますが、時代をもう少し遡らせてみます。
※ここからは諸説あることを前提とした話になります。

1859(安政6)年、幕末の横浜が開港した頃、攘夷派による外国人の殺傷事件が頻発。
1862(文久2)年の生麦事件をきっかけに、英国・仏国軍が山手に駐留するようになり、横浜に軍楽隊による西洋音楽が流れました。

この頃に庶民の間で自然発生的に生まれた歌があります。
当社の創業地に近い、野毛山から外国人居留地の軍隊の様子を歌った「野毛山節」と呼ばれる歌です。
作者不詳ですが、日本の流行歌のルーツともいわれています。

「野毛の山からノーエ」で始まる歌詞には、異人館、鉄砲などの言葉とともに、軍隊を茶化したようなフレーズが続きます。

軍楽隊が奏でる楽器の音を表しているのか「オッピキヒャラリコ」、「チーチーガタガッテ」といった、「オノマトぺ(擬声語)」のようなものも使われています。
掛け声のように使われている「ノーエ」は、一説によると英語の「NO」と「YES」が詰まったものだといわれています。

「野毛山節」の曲調は行進曲風でありお座敷歌風でもあり、ノリのよさと歌いやすさが特徴。
この曲が替え歌となり盆踊り歌の「ノーエ節」として各地に広まりました。

その代表が静岡県三島の「農兵節」です。
「富士の白雪ゃノーエ」で始まる歌詞がぴったりとハマり、全国的に広まりました。
1934(昭和9)年にはレコード化し、ヒットもしています。

昭和の初めにレコードが伝わり、カセットテープ、CDなどの時代を経て、現在はインターネットで映像や音楽をすぐに再生できるストリーミング・サービスの時代が到来しています。
そんな時代ですが、今日は、歌が人の口から口へとしか伝わらなかった時代の流行り歌に、想いを馳せてみました。

 


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