「野毛印刷」なのに「野毛」にないのはなぜ?その疑問に答えます!

コラム

昔の野毛印刷の写真

本サイト『ヒラメキ工房』を運営する株式会社野毛印刷社は、横浜の地で創業して75年が経ちます。

お客さまにご挨拶する際、横浜の会社で社名に「野毛」が入っていることから、「あの飲み屋街の野毛にある会社なんですか?」と聞かれることも少なくありません。

ですが、実際本社はみなとみらい線の馬車道駅の近くにあり、多くの社員が働いている営業企画本部は京急の黄金町駅が最寄りになるため、野毛にはありません。
「いえ…野毛ではないのです…笑」と答えて、せっかくのお客さまの期待を裏切ってしまうこともしばしば…。

「なぜ、野毛印刷という社名なのか?」
今回はその理由をご紹介します。

野毛印刷の歴史

当社が創業したのは、1948年です。
創業者の金子昇が、1948年9月に横浜市中区野毛町にあった謄写印刷所の経営を引き受け、謄写印刷業を開業しました。

その翌年には合名会社野毛印刷社を設立。
ここで社名に「野毛」が使われるようになりました。

創業の地が野毛であることは予想がつきましたが、なぜ社名に入れることにしたのか?
その理由は下記のように伝えられています。

あえて「横浜」ではなく「野毛」という地名を社名に入れた理由は、当時横浜の中心地は米軍に占領されていたこと、また、謄写印刷が小さいエリアの商売であったことから「野毛」にあることを印象付けるため、と言われています。
また、「印刷」に「謄写」を付けなかったのは、いずれ「謄写版」から「平版」で大量に印刷ができる会社になることを夢見て、とのことだったと伝えられています。

「野毛印刷社」という社名には、当時の時代背景や創業者の想いが込められていました。

創業からしばらく経つと、社員が増えて手狭になったこともあり、本社を移転することになります。
そこで、現在の本社がある中区相生町が移転先に決まり、1957年に本社を移転したことで野毛の地から離れることになりました。

▼相生町の野毛印刷

昔の野毛印刷の写真

1962年には株式会社野毛印刷社に組織変更し、1976年に現在の営業企画本部である横浜市南区新川町に社屋を建てて営業・製造拠点を移します。
創業50周年を迎えた1998年には横浜市金沢区に福浦工場を完成させ、8色機のオフセット印刷機を複数台導入するなど、会社としてより一層大きくなりました。

▼横浜市金沢区にある福浦工場

福浦工場の外観写真

社名に「野毛」が入っているのは創業地が野毛町であったことからですが、野毛から移転した後も、横浜の地に根付いて事業を行っているという点は変わっていません。

戦後の「野毛」の状況

社名の由来が分かったところで、次に「野毛」にもう少しスポットを当ててみようと思います。
現在の「野毛」と言えば、安くて美味しい飲み屋がたくさんある街として知られ、多くの人で賑わっています。

ですが、当社が創業した頃の戦後の「野毛」はどのような状況だったのでしょうか。

横浜市中区野毛町は、明治時代に開業した鉄道「横浜駅(現桜木町駅)」、現在のみなとみらい地区にあった三菱造船所(後の三菱重工業横浜造船所)の開設などで繁華街として栄えた街です。

終戦直後、進駐した連合国軍によって横浜市の中心部や港湾施設などが広範囲に接収されるなか、接収から外れた野毛は、横浜の代表的な闇市として賑わいました。
衣類や靴を売る店や食べ物を売る露店がぎっしりと立ち並び、川沿いには「カストリ」という怪しげな焼酎を売る小屋が軒を並べ、「野毛の風太郎プータロウ」と呼ばれる身元不明者や日雇い労働者でひしめきあいました。現在も俗語として使われる「プータロウ」は、ここから生まれた言葉だそうです。

創業当初の野毛印刷は中区野毛町1丁目15番地にありました。
周りにはジャズ喫茶の「ちぐさ(現在は近くに移転)」、レストランの「センターグリル」、野毛のふぐ料理のルーツ「村田家」など、現在も残っている店が存在していました。

当時の中区役所は桜木町駅前にあり、横浜市役所の仮庁舎が野毛坂を少し上った老松中学校内にありました。
現在JRAがある場所には「マックアーサー劇場(マッカーサー劇場)」、その隣に「横浜国際劇場」など映画館も続々と開業するなど娯楽も活気付き、野毛印刷創業の年には、美空ひばりが「横浜国際劇場」でデビューしたことで知られています。
ちなみに美空ひばりの初のヒット曲で、主演を務めた同名の出世作「悲しき口笛」は当時の野毛が舞台の映画でした。

これからの野毛印刷は

当社は、一昨年東京オフィスをオープンしました。

【お知らせ】神保町に「Noge Tokyo Office」をオープンしました!

これからも横浜の地でお客さまに向き合い、ものづくりに取り組んでいくことに変わりはありませんが、時代にあわせて、より多くのお客さまの要望に応えられるかたちに変化していきます。
「野毛」という名前を大切にしながら、新たなサービスや企画、ソリューションで、お客さまに満足していただける会社を目指していこうと思います。

 お問い合わせ

コーポレートサイトのバナー

「野毛」にまつわるコラムは他にも多数掲載しています。
こちらもあわせてお読みください!

野毛のランドマーク「都橋商店街」の歴史を調べてみた

横浜発、幕末の流行り歌「野毛山節」。流行歌のルーツを探る

野毛印刷の「野毛」こだわって調べてわかったこと。

日本のプロカメラマンは「野毛」が出発点だった。

TAG:横浜 歴史 

関連記事

お問い合わせ

運営会社

75年以上の歴史をもつ横浜のクリエイティブ制作会社です。印刷物のデザイン・製造はもちろん、動画やWEBサイトの制作、マーケティング支援など、ありとあらゆるお客さまの課題解決に取り組んでいます。

詳しく見る