印刷会社でありながら動画スタジオ「C.スクエア横浜」を所有する当社は、クロスメディア展開の一環として、さまざまなジャンルの動画制作に対応しています。
…と、いきなりセールストークっぽい書き出しになってしまいましたが、そもそも「動画」とは何なのか。どうやって広まったのか。
今回は、改めてそんなことを考えてみることにしました。
動画の歴史
19世紀にカメラの技術が発達し、静止写真が世に出ると、動く画像の研究が進みました。
ご存じのように、動画の元となったのは複数の絵を素早く連続して見ることで動いているように目が錯覚する「パラパラ漫画」です。
1891(明治24)年にトーマス・エジソンが箱を覗いて鑑賞する映写機「キネトスコープ」を発明。
1895(明治28)年には、フランスのリュミエール兄弟が一度に多くの人が鑑賞できる「シネマトグラフ」を発明し映画が誕生しました。
最初は白黒、サイレントだった映画は、音と映像が同期したトーキーになり、カラフルになり、20世紀の到来とともに発展し続けました。
やがて時代は進み、テレビ放送も登場。さらにコンピュータの出現などにより、動画は進化し続けて今に至っています。
日本における映画の黎明期は「活動写真」と呼んでいましたが、大正時代末期には「映画」という呼称が浸透していきました。
では、「動画」という呼称が登場したのはいつなのか?
それを探っていくと、「動画=アニメーション」という歴史を遡ることになります。
日本の動画の歴史はアニメーションとともに
アニメーション映画が日本に伝わったのは明治末期から大正にかけて。
日本で最初の商業アニメーションとしては、1917(大正6)年に公開された下川凹天による『凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻』など複数の作品が挙げられています。
昭和に入って透明のシート「セル」を使った技法が輸入され、1930年代には「セル画」を使ったアニメーションが主流になっていきます。
この頃登場するのが、後に「日本のアニメーションの父」と称されたアニメーション作家の政岡憲三です。
1933(昭和8)年、京都に「政岡映画美術研究所」を設立すると、その4年後に「日本動画研究所」に改称。この頃アニメーション事業に参入していた松竹は、1941(昭和16)年に政岡を製作課長に招き、「松竹動画研究所」を設立。
1943(昭和18)年に、日本初のフルセルアニメーション『くもとちゅうりっぷ』を製作した政岡が「アニメーション」の訳語として「動画」を考案したものと考えられています。
その後、略語としての「アニメ」とともにアニメーションを表す語として使われ続けた「動画」が、テレビの普及により動く画像を意味する英語「Videograph」の訳語としても使われるようになります。
さらに1990年代以降はマルチメディア、インターネットが世に広まるなかで、広範囲な映像物を指す言葉として「動画」が定着していったのです。
いかがでしょうか?
私たちにとって当たり前のものでもある「動画」が広まったのには、このような歴史があったんですね。
当社も、これまでさまざまな企業の動画制作に携わらせていただきました。
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