ハマスタから始まった野球の歴史

コラム

横浜DeNAベイスターズを応援しています

球春到来の3月、横浜の野球にこだわった話です。
2016年、待望のCS出場を果たした「横浜DeNAベイスターズ」は、2017年、さらに上を目指しての活躍が期待されます。
年間の観客動員数が球団史上最多を記録。頻繁にイベントを開催するなど、プロ野球観戦の楽しさを積極的に発信し続けています。また、横浜スタジアム(通称ハマスタ)を買収し、球団と球場の一体化を実現。また、スタジアムに隣接する旧関東財務局横浜財務事務所ビルを改装。「スポーツと街がつながる、ハマの基地(ベース)」というコンセプトのもと、球団オフィスや多目的スタジオなどを整備した「THE BAYS」がオープンしました。さらに、将来はハマスタを港町横浜の景観に溶け込んだ「ボールパーク」に改装するという構想が発表されるなど、ベイスターズファンだけでなく横浜市民をワクワクさせる夢が大きく広がっています。

横浜と野球の歴史

では、横浜は歴史の中で野球とどんな関わりがあったのか、振り返ってみたいと思います。
そもそも野球が日本に伝わったのは、1872(明治5)年頃と言われ、日本に初めて野球を伝えたというホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、東京神田の学士会館敷地内に「日本野球発祥の地」の記念碑が建立されています。

しかし、その1年前の1871(明治4)年には、現在ハマスタがある場所にあったクリケットのグラウンドで横浜居留外国人と貨客船コロラド号の水夫チームが野球の試合をしたという説があります。1876(明治9)年には同じ場所に横浜彼我公園が造られ、野球やクリケットができる外国人居留地運動場が建設されました。

日本初の国際野球試合は横浜で

1896(明治29)年には、その外国人居留地運動場で日本初の国際野球試合、旧制第一高等学校と横浜在住米国人チームが対戦。1929(昭和4)年に関東大震災の復興事業の一環として「横浜公園球場」が竣工。こけら落としに早慶戦の新人戦が行われました。1934(昭和9)年には、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ率いる米大リーグオールスターと全日本の試合が開催され、それを記念した「メモリアルレリーフ」が現在のハマスタに記されています。終戦の年、1945(昭和20)年には、駐留軍に接収され「ゲーリッグ球場」に名称を変え、日本初の夜間照明灯が完成。1948(昭和23)年には、日本プロ野球初のナイトゲーム、巨人対中日戦が開催されました。1955(昭和30)年に「横浜公園平和球場」に改名。

横浜スタジアム

ここからはご存知の方も多いと思いますが、1978(昭和53)年に横浜スタジアムが誕生、ベイスターズの前身「横浜大洋ホエールズ」によって、プロ野球が横浜に戻り、現在に至っているわけです。
近年は人気が出すぎてチケットを入手しにくいということもありますが、ぜひハマスタに足を運んで、華麗なプレーとファンの熱気を味わってみてください。

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