「天文学の黒船」騒動をご存知ですか?
1874(明治7)年12月9日は、「天文学の黒船」騒動が起こった日です。
といっても歴史の教科書では学べない、認知度の低い出来事ですが、当社の創業地に近い横浜の野毛山(当時野毛山、現在は伊勢山皇大神宮に近い西区宮崎町)を舞台とした歴史の逸話をご紹介します。
日本で2004(平成16)年、2012(平成24)年に起こった「金星の日面経過(太陽面通過)」を覚えている方は多いと思います。金星が太陽面を背景に通過していくように見える天文異変。ごく稀に起こるこの現象が、今から145年前の明治初期の日本で起こっていました。金星の日面経過を地球上の南北両半球から同時観測すると、地球と太陽の平均距離である「天文単位」が精密に測定できることから、世界中の天文学者が注目。北半球では日本が観測地として恵まれていたため、世界各国の天文学者らが日本に入国要請をしてきました。
一大イベント「天文学の黒船」
当時は明治新政府が産声をあげたばかりで、まだ国の方向が定まらず混乱していた最中。天文学の知識に乏しい日本政府は観測の意図がよくわからず、入国要請にあわてましたが、政府の最高責任者、太政大臣の三条実美や、海軍卿(海軍省)の勝安房(勝海舟)、文部卿(文部省)の木戸孝允(桂小五郎)らが観測を推進。欧米の進んだ科学技術を実地に吸収できるまたとない機会として、アメリカ、フランス、メキシコの観測隊に、当時開港したばかりの長崎、神戸、横浜を観測地として提供することになり、一大イベント「天文学の黒船」が繰り広げられました。
横浜は観測に適していた?
横浜では野毛山と、山手に創立したばかりのフェリス女学院(現フェリス女学院中学校・高等学校)のグラウンドの2つを観測所として提供。メキシコ観測隊は自国から導入した天体望遠鏡で観測を行いました。当日、長崎は歌の文句のように「雨だった」とか。そして神戸も天候が思わしくなく、運よく横浜だけが快晴だったため観測は順調に行われました。
メキシコ観測隊はこの観測により、太陽と金星の大きさ、地球と金星の距離、太陽系の運行時差など数多くの基礎調査に成功。日本政府は観測の終了を待ってアメリカ観測隊に経度原点の決定を依頼し、東京港区麻布台に「チットマン点」と呼ばれる日本最初の経度原点を設けました。野毛山観測所だった場所に近い県立青少年センター敷地内には、観測百周年記念に建てられた記念碑が残っています。
ちなみに、次回、日本で金星の日面経過が見られるのは、なんと98年後の2117年の12月だそうです。その頃の天文学の進捗については想像がつきませんが、どなたか見届けていただける方はいるのでしょうか?