「ヘルベチカ(Helvetica)」をご存知ですか
名称についての認識はあまりないかもしれませんが、誰もが毎日のように出会っている欧文フォントといえば、何となく想像できるかもしれません。本記事では、「欧文フォントの王様」とか「世界中で最も愛されている書体」などと称される世界で一番有名な書体「ヘルベチカ」の歴史に迫ってみます。
セリフ体とサンセリフ体
そもそも欧文書体は、文字の先端の装飾の有無でセリフ体とサンセリフ体に分かれます。「ヘルベチカ」は、1957(昭和32)年にサンセリフ体の活字としてスイスの活字鋳造会社、ハース社のドアルド・ホフマンとマックス・ミーティンガーによって作られました。当時の名称は「ノイエ・ハース・グロテスク(Neue Haas Grotesk)」で、ハース社の新しいグロテスク(サンセリフ)という意味がありました。その後1960(昭和35)年にステンペル社から「ヘルベチカ」の名称で発表されました。
スイスで発展した書体
スイスではドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4か国が併記される事情があり、可読性や清潔感を重視した「スイススタイル(国際タイポグラフィー様式)」と呼ばれるグラフィックデザインの様式が発展。究極の認識しやすい書体として作られた書体に、ラテン語で「スイスの」という意味の「ヘルベチカ」がつけられました。ヘルベチカはニュートラルで、強いクセを持っていないのに機械的な無機質さと人間臭さを兼ね備え、誠実さと信頼性、普遍性も備えた書体として世界に羽ばたきました。
日本でのヘルベチカ
日本でヘルベチカが使われ始めたのは、1964(昭和39)年。東京オリンピックのデザイン懇談会委員を務めていた原弘氏が当時まだ「ノイエ・ハース・グロテスク」と呼ばれていた書体を使いたいと大日本印刷に打診し、大日本印刷がハース社とオリンピック限定使用を条件にライセンス契約をしたといわれています。
世界で使われるヘルベチカ
やがて活字が簡単に写植で印字できる時代になると、「ヘルベチカ」のコピー書体が世界にあふれるようになりました。しかも、ヘルベチカにはなかったさまざまなウエイト(太さ)の模倣書体も登場。コンピュータで文字を組む電算写植の時代になると、しっかりとすべてのウエイトをデザインした正式なヘルベチカが必要となりました。そこでステンペル社は1983(昭和58)年にヘルベチカの改訂版「ノイエ・ヘルベチカ(Neue Helvetica)」51ウエイトを発表。 その後は世界で最も使用頻度の高い書体の一つになりました。本文やサイン類はもちろん、MOTOROLA、3M、BMW、Microsoft、evian、TOYOTA、Panasonicなど、数え切れないほど多くの企業ロゴに使用されるなど、世界中に愛され続けています。