【横浜ランドマークタワーの歴史】開業25周年、まさしくランドマークな建物ができた時代

コラム

横浜、みなとみらい地区のシンボル、横浜ランドマークタワーが今年9月に開業25周年を迎えます。25年前はすでに平成ですし、私にとってはつい最近のような感覚ですが、古い話は古い人間にということで、未だに昭和を引きずっている私に記事の依頼がありました。で、1993(平成5)年の開業時や、さらに遡った話まで懐かしみながらまとめてみようと思います。

ランドマークタワーの出発点は、東京オリンピックの翌年

東京でオリンピックが開催された翌年の1965(昭和40)年、当時の飛鳥田一雄市長が、市民に向けた提案「横浜市六大事業」を発表しました。それが、後に当社の工場の移転先となる金沢地先の埋立事業、港北ニュータウン、高速道路、高速鉄道(地下鉄)、ベイブリッジ、そして、現在ランドマークタワーがある地区を想定した都心部強化事業でした。

1979(昭和54)年には、「横浜市都心臨海部総合整備計画」基本構想が発表され、その後、一般公募で事業名が「みなとみらい21」に決定。1983(昭和58)年には、当時この地域の中心にあった三菱重工業横浜造船所の移転が完了し、みなとみらい21の事業が着工しました。

バブル全盛期にランドマークタワーが着工、そして崩壊時に竣工

1989(平成元)年には、みなとみらい21地区で横浜市制100周年・開港130周年を記念して横浜博覧会が開催されました。この頃は、バブル景気の真っただなか、あちこちで大規模開発が進み、悪質な地上げが社会問題に。トレンディドラマ、ディスコ、ボディコン、ティラミス、ナタ・デ・ココなどで世の中が浮かれ気分でした。翌年の1990(平成2)年、横浜ランドマークタワーが着工。そしてバブルが崩壊した後の1993(平成5)年、Jリーグが開幕し、ドーハの悲劇が起きた年に竣工・開業。街にはThe虎舞竜の「ロード」や松任谷由実の「真夏の夜の夢」などが流れていました。「ポケベルが鳴らなくて」や「夏の日の1993」などという曲もこの時代を表した楽曲です。

横浜ランドマークタワーは横浜のランドマークになった

横浜ランドマークタワーは、当初の計画で高さ300mの超高層ビルになるはずでしたが、建設地が羽田空港に近いために高度制限があって、70階建て、296.33mに。当時はもちろん日本一の超高層ビル(現在は大阪市のあべのハルカスに次いで2番目)でした。

「ランドマーク(Landmark)」は、都市景観のシンボルとなる目印の意味で、1970代頃からよく使われ始めた言葉。その名にふさわしく、新しい都市のシンボルをコンセプトとして、建物の四隅に太い支柱を建てた造りが特徴のデザイン。スマートながら安定感が感じられる建物になりました。他の超高層ビルと比べて、いかにもバブリーな雰囲気を感じてしまうのは私だけでしょうか。

ちなみに、ライブやプロジェクションマッピングなどでお馴染みのドックヤードガーデンは、1896(明治29)年に竣工した旧横浜船渠第2号ドックを保存活用した国内最古の石造りドックであることから国の重要文化財に指定されています。展望フロアとともにランドマークタワーのおすすめスポットです。

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