朝日新聞の読者投稿「朝日歌壇」で、横浜に住むホームレス歌人、公田耕一氏の詠んだ歌が脚光を浴びたことをご存知の方もいらっしゃると思います。その中に
哀しきは寿町と言ふ地名 長者町さへ隣にはあり
というものがありました。
これ以上おめでたい町名はないだろうと思える、横浜市中区の「寿町」を、哀しい地名と詠んだ切ない歌がずっと気になっていました。
縁起をかついだ町名
当社からもわりと近い寿町は、名前とは裏腹に、簡易宿泊所が並ぶドヤ街と呼ばれる町ですが、改めて町名について考えてみると、隣の長者町をはじめ、このあたりの町名は確かに縁起をかついだ名称が多いような気がします。
扇町、翁町、黄金町、不老町、羽衣町、福富町、蓬莱町、末広町・・・とどれも江戸時代、吉田甚兵衛によって入り江を埋め立てた、吉田新田の沼地をさらに埋め立てた際につけらた町名ですが、何とも立派な町名ばかり。当社の営業企画本部がある南区新川町も吉田新田の内にある町ですが、昔あった灌漑用の水路名の通称名かが名付けられて、こちらはわりと平凡な名称です。
七福神にちなんだ町
同様の埋立地では、昭和初期に京浜工業地帯として埋め立てられた地域には、大黒町、恵比寿町、宝町など、七福神にちなんだ町名がつけられています。新しいところでは当社の工場がある金沢区の福浦や幸浦も金沢の埋め立てによってつけられた地名です。
因みに、さすが平成となると感覚もあたらしくなって「みなとみらい」などというユニークな町名もつけられるようになりました。
当社の本社が所在する相生町も、江戸時代末期に太田屋徳九郎によって開発された、太田屋新田の埋立地にできた町。相生は2本以上の木が同じ根から生えでていることで、結婚式に欠かせない謡曲の「高砂」に由来するとてもおめでたい町名です。