日本のプロカメラマンは「野毛」が出発点だった。

コラム

「野毛」をご存知ですか?

社名でお分かりのように当社の創業地は、横浜市中区の「野毛」です。
600軒近い飲食店がひしめく「野毛」は呑み屋街で知られていますが、最近は若い女性が女子会で盛り上がる街として人気上昇中です。2004(平成16)年に東急東横線の横浜~桜木町間が廃線になり、飲食店は大打撃を受けましたが、現在はJR桜木町駅を挟んで海側のみなとみらい地区と共存共栄する形で、今風のスタイルを売りとする若い店主の新店舗も続々と出現。街を取り上げるTV番組が増えたことなどもあり、「野毛」という街が活気を帯びてきました。

そんな「野毛」の歴史について、江戸時代末期の「野毛」へと遡ってみました。古くは久良岐郡戸部村野毛浦と呼ばれる小さな漁村だったこの地域は、幕府が横浜村を開港すると決めると、東海道と横浜を結ぶ「横浜道」を造ることを計画。東海道筋の芝生村から当時の海岸線に沿い、戸部村から野毛山を越える切り通しを整備。野毛橋(現都橋)、太田橋(現吉田橋)を架け関内まで続くルートで道を造り、1859(安政6)年の開港と同時に完成させました。

日本で最初の写真館

その「野毛」に3年後の1862(文久2)年、日本で最初の写真館ができます。
日本の写真家の開祖は長崎の上野彦馬うえのひこまと横浜の下岡蓮杖しもおかれんじょうですが、ほぼ同時期に写真家として仕事をはじめたといわれています。横浜でプロカメラマンとしてスタートした下岡蓮杖は、伊豆下田出身。小さい頃から絵が好きで、江戸へ上ると絵師として活躍。
薩摩藩下屋敷でオランダから渡った銀板写真を見て驚嘆し、写真術を学ぼうと決心。長崎へ渡ろうとした矢先に黒船が来航。1856(安政3)年に、運よく郷里の下田にアメリカ総領事館が置かれたことで、下田に戻ると総領事のハリスの給仕として働き、ハリスの通訳のヒュースケンから写真の原理や基本を学びます。
その後1860(万延元)年に横浜に向かうと、アメリカ人雑貨商シャイヤー婦人から洋画の描き方を学びます。そこでアメリカ人写真家のジョン・ウイルソンと出会い、指導を頼み断られますが、助手のラウダー夫人から写真の指導を受けます。
その後、カメラや薬品を得た蓮杖は、写真研究を進め、苦心を重ねた結果、どうにか鮮明な画像を浮かび上がらせることに成功。40歳の時に「野毛」に小さな写真館を開業しました。その後は弁天通5丁目に移ったということで、「日本写真の開祖 写真師・下岡蓮杖」の記念碑は馬車道にありますが、あえて日本の写真、プロカメラマンの出発点が「野毛」だったということを強調して本欄で取り上げてみました。

なお、「野毛」で一杯という際には、そんなことも頭の片隅に 置いてお楽しみください。

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